Aug 19, 2011
初めての名刺を作成(データ入力業務)
先日、最初に名刺を作成、データ入力の仕事を経験しました。細かい作業や繰り返し作業は、比較的上手なので、とても楽しくしています。継続したかったのですが、時間の都合で一時間くらいしかしていません。次の日もやろうと思えば、もう終わっていました。なかなか名刺を作ることができないのが残念です。今回は、インターネットで見つけたです以下に見つかった場合は、じっくりと努力したいと思います。最近では一般向けPCやプリンタの機能と品質にも業務用と変わらない程度向上しているため、直接名刺を作ることも可能になってきました。名刺作成専用のソフトウェアを使用すると、自分の好きなデザインで安価な名刺を作成することができます。両面印刷もでき、お好みのイラストを入れたり、カラー印刷しても安いのでとても便利です。
喜多方に住んでいた小学生のころ、郡山に出るとにぎやかな街に来たなあと浮き浮きした気分になった。初めてエスカレーターに乗ったのも駅前のデパートだ。その郡山に向かう途中、磐越西線の車窓から山あいの東長原や大寺(現在は磐梯町)駅近くに大きな工場が見えた。そんな風景を見慣れるにつけ私は「工場というものは山の中にあるもの」と思い込んだようだ。
今にして思えば、山間部だから工場が付き物というわけではなかった。あの辺りは特別な地域だったのだ。
「おらが村で発電を止めたら、花の東京は暗ヤミ地獄」。大正期、河東村(現・会津若松市河東町)の人々はこんな誇らしい気分だったという。周辺は東京に送電する日本一の電源地帯だったのだ。
標高514メートルの猪苗代湖の水は日橋川を通じて約300メートル低い会津盆地に流れ下る。この水に中央資本が目をつけ発電事業を始めたのだ。発起人には渋沢栄一の名もある。1914(大正3)年に稼働した猪苗代第1発電所の出力3万7000キロワットは日本一。たちまち「第4」までできた。電気は225キロ先の東京・田端変電所へ。これも日本一の「長距離大量送電」だった。
発電所近くの村には東京の3分の1という安い電気料金のおかげで工場が続々と進出した。当時は送電距離が短いほど安かったからだ。それが山間地に工場ができた理由である。以上「河東町史」「ふくしま一世紀」で知った話。
さて、何を言いたいかといえば、福島は相当古くから最先端の電源地帯として首都圏に電力を供給し、それが日本の近代化を支えてきたということである。戦後に只見川の電源開発が注目され、東京電力の原発が集中立地したのもその流れといえる。
今や「おらが村で」と大いばりする時代ではないが、私たちの郷土がそういう役割を果たしてきた歴史を冷静に受け止めておきたい。
原発事故によって福島は窮地に陥っている。どう再生していけばいいのか。先日公表された県の復興ビジョンの理念案で「脱原発」と「再生可能エネルギーの飛躍的な推進」が示された。日本全体がどうあれ、福島が「脱原発」で先行するという強い意思を示している。当然の道だと思う。太陽光や風力、地熱など自然エネルギーの活用は日本だけでなく人類の課題でもある。
最先端の技術で近代日本を支えた福島が、再び最先端の道を示そうという心意気を頼もしく思う。福島再生をオールジャパンで支えたい。(毎週土曜日掲載)
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■人物略歴
◇かぶき・まさお
1951年喜多方市生まれ。同市立第2小、同第1中、喜多方高、東大卒。75年毎日新聞社入社。千葉支局を振り出しに学芸部長、編成総センター室長、新聞研究本部長などを経て09年10月から論説委員長。昨年まで4年間、喜多方市ふるさと大使を務めた。
6月25日朝刊
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湖国の郷土料理「エビ豆」に使われる琵琶湖産のスジエビの漁獲量が2年前から急激に減り、危機に瀕している。落ち込み前の1割にも満たず出漁しても採算割れの状況で、スジエビ専門の漁師が多い沖島(近江八幡市)では今年に入って漁獲対象を変えている人もおり、廃業を危惧する声も上がる。落ち込みの理由ははっきりせず、滋賀県が実態調査に乗り出した。
スジエビは体長3〜6センチで各地の川や湖に生息。琵琶湖産は大豆と炊き合わせるエビ豆に調理され、海釣りのエサとしても近畿地方を中心に広く流通している。浅場に生息する春から秋はエビタツベというかごで、深場に移る冬は小型の底引き網で漁獲する。
滋賀農林水産統計によると2002〜07年の漁獲量は200トン台だったが、08年は121トン、09年は87トンに減った。沖島漁協では今年も不漁が続き、スジエビ専門の13隻のうち8隻はアユなどの漁に変えている。森田正行組合長(61)は「かつては1隻で月1トン以上とれていたが、一昨年から100キロ前後。これだけ何年も不漁が続くことはなかった」と頭を抱える。
底引き網でイサザなどと合わせて漁獲している朝日漁協(長浜市)の組合員も「1日10キロはとれていたが昨年11月から今年3月は1キロ以下」と嘆く。他の漁協の組合員からも集め、釣りエサで近畿や四国、瀬戸内地方に出荷するが、4分の1に減少しているという。
県水産試験場(彦根市)は本年度から、場所によって漁獲量に差があるかや、捕れているサイズ、琵琶湖の環境変化との関連を調べ始めた。スジエビの生態は解明されていない部分が多いといい、生物資源担当の田中秀具専門員は「何とか回復につながるヒントを得たい」と話す。
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